新町橋の阿波踊りの歴史
発端は「毘沙門連」
 このお囃子グループは今から28年ほど前、両国本町にあったジャズ喫茶「毘沙門」のマスター吉本"オヤブン"が当時の常連客と一緒に鉦や太鼓、フライパンに一斗缶などを叩いて新町橋のたもとで演り始めた「毘沙門連」が発端となっています。柳町春雨、小林"とっしん"、堀尾和孝、山下"ジャマ"銀次郎、渡辺ゆう、"コマンチ"近藤、泉マモルたちは、この頃からのオリジナル・メンバーです。
その後、「RaB連」と呼ばれ
 その後、黒崎楽器ギターハウスRaBの当時の店長"Don"安部が徳島NHK連放出の中古太鼓を買い入れ、楽器編成がぐっとパワーアップ、この頃は「RaB連」とも呼ばれていました。
踊り浴衣には「宴連」と・・・
そしてギターハウスRaBの当時の従業員中西"たっちん"の呼びかけで新たな踊り浴衣を作ることになり、この時の「宴連」と染め抜かれた浴衣は今も愛用者がいます。大西豊、熊田常宏、ブライアンTomokoたちはこの頃からのメンバーです。
宴連の浴衣。
タウン誌には「エレキ三味線軍団」・・・
 その後は毘沙門の閉店、中西"たっちん"の上京など重要メンバーの変遷があり、ギターハウスRaBのDon安部、ココナッツ・スタジオの春雨、名盤堂の泉の3者による共同バックアップ体制でお囃子は継続していきます。

エレキ三味線とアンプ
鉦・太鼓に加え、春雨の提案で三味線(後にはエレキ三味線)を導入、大沢由紀を中心に笛部隊が加えられ、現在の編成に近づきました。この頃はタウン誌に「エレキ三味線軍団」とか「ゲリラ囃子」とか紹介されていました。春雨と泉が編成したバンド「ジャングル」も阿波踊りのリズムを全面的に取り入れたオリジナル曲を演奏し、注目を浴びていました。
合田先生、"ひるへい連"岡部、山下"しんちゃ"、真鍋"けんちゃん"たちはこの頃からのメンバーです。
春雨・泉のジャングル・コンビから今日へ

 しかし、Don安部は栄転で赴任地が変わるなどして次第にお囃子の運営からは遠ざかっていき、その後の数年間は春雨・泉のジャングル・コンビが踏ん張りますが、ジャングルもやがて解散、運営面では結局春雨だけが残り、打楽器パート長・春雨、三味線パート長・山下"しんちゃ"、笛パート長・真鍋"けんちゃん"という布陣で今日に至っています。(現在、一般にはミュージシャン連とかココスタ連とか呼ぶ方もいます。)

メガホンPAの導入によるヴォーカルの参加
 最近の大きな変革は、やはりメガホンPAの導入によるヴォーカルの参加が大きいでしょう。京都から参加の後藤ゆうぞうによる変幻自在な唄とツッコミ、そして民謡・詩吟で鍛えた笹路子の正調よしこの節はダンサーたちを激しくエキサイトさせています・・・
メガホンPA
激しくエキサイトするダンサー達